I.[約20万年前 南フランス、プロバンスの洞窟]
この図の中央に見える黒い線は、人類によって最初に岩に刻まれた ものであるとの報告がある。確かに真一文字に流れるこのキズは、 何らかの意志のなせる技という気もする。しかし、多くの学者たちは 単なる岩の裂け目であると取り合わない。
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II.[約2万年前 ドイツ中部シュバルトバルトの岩壁]
これは明らかに現生人類による葉っぱの絵である。しかし、同時代の ラスコーやアルタミラの洞窟壁画と比べると、あまりにも稚拙である。 おそらくは子供の手によるものと思われる。
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III.[ローマ時代(BC3世紀)カルタゴで発掘された柱の装飾文様]
ローマやシラクサでも類似の文様が報告されているが、この完成度の 高さは、まさにハンニバル好みというところだろう。
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IV.[ローマ時代(BC1世紀)カエサル軍の旗印]
ガリア、イスパニアと転戦したカエサル軍の士気を鼓舞したと伝えら れる印。ゲルマンの民は、この旗印を見ると戦意を喪失したという。
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V.[中世ヨーロッパ 吟遊詩人の詩に謳われた英雄]
中世ヨーロッパの宮廷や街々を放浪したトゥルバドールなどの吟遊詩人は、 恋の詩を最も得意としたが、英雄物語も伝えた。11世紀のフランス、 トゥールーズのフレスコ画に描かれた英雄。
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VI.[17世紀 大数学者デカルト、三角定規を導入]
17世紀初頭、若き日のデカルトは、中世以来定着していた英雄モチーフに 三角定規を導入するという画期的変革をもたらした。二等辺三角形を二等分 することにより、図に安定をもたらした。
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VII.[18世紀 モーツァルトの即興曲完成]
7歳のモーツァルトが即興で作った曲が、巷に流布し、通 俗化されたものが 「かわいいコックさん」の絵描き歌の元になっている。もちろん、曲と絵の 融合は20世紀初頭まで待たねばならない。
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VIII.[19世紀コックさんの絵の発展に初期印象派が関与か?]
19世紀後半、コックさんの絵は、帽子以外について現在のものとほとんど 変わらなくなった。この時期に新たに加わった、いわゆる「アンパン、コッ ペパン」などについては、確証はないが、初期印象派の関与を指摘する意見がある。
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IX.[20世紀初頭 パリで完成した「コックさん」]
第一次世界大戦直前のヨーロッパは、不安定な状況からか、不思議な興奮状態に 包まれていた。そんな中、パリで、「コックさん」はモーツァルトの曲とも一体 となり大流行した。しかし、大戦勃発と同時にその熱は幻のように消え失せ、その後 「コックさん」は、ヨーロッパでは二度と復活することはなかった。 そして舞台は日本に移るのである。
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X.[20世紀初頭 日本 西洋みやげ「コックさん」]
この頃、洋行帰りの人々が最新の西洋情報として伝えたものの中に「コックさん」 もあった。夜の街でも人気で、いつしか「かわいい」という形容詞がつき、 「かわいいコックさん」と呼ばれるようになった。大人世界の流行は子供世界に もすぐに伝わるのが常で、その過程で日本語の歌詞もでき、多少の盛衰もあったが、 現在に至っている。 |
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